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2009/03/31

あーる晴れた日に♪@映画館(3/29)

日曜にまたもや映画館でオペラを聴きに川崎駅西口の109シネマズへ行ってきた。
演目は日本でもポピュラー(なのか)な人気作。プッチーニの「蝶々夫人」@METライブビューイングである。
前回行った時もそうであったが、オペラの舞台を拡大クローズアップして鮮明に投影する映像は迫力満点。音は映画館なので、原音忠実とはいかないけどそれでも迫力ある音で迫ってくる。
これで、3500円なのはオペラとしてはやはり安上がりなのである。日曜で人気作ということもあってか、お客さんの数もかなりいてスクリーン席の6割以上が塞がるというのだからかなりこの企画も音楽ファンに浸透してきているのであろうか。
で、毎度ながら予習せずに見たのであるが、舞台演出はメトロポリタンにしては簡素でありながら的確。でも、やっぱり少し的外れ的な日本趣味で彩られた衣装が非日本人が演出したことを感じさせる。一方で、障子や提灯といった道具を駆使した舞台は日本人から見ても納得させるだけのものを持っていた。オペラでありながら、主役の歌手以外に舞台を配膳する黒子の存在がなんとも文楽的であり少し歌舞伎の要素も入っている。(といって実際の文楽や歌舞伎、能を現場で観たことは未だ無いので割り引かなくてはならないが)

それにしても、この劇においての主役は蝶々さんよりも夫のピンカートンである。で、いやなやつなのだ。西欧的列強として、日本にやってきて故郷に婚約者がいながら軽い遊び程度の思いで「現地妻」として蝶々さんと結婚の契約をする。そしてあっさりと蝶々さんを捨てて故郷へ帰ってしまうのだ。ねっ、やな奴でしょ。
一方の蝶々さんは終生の愛と信じ。改宗もし、親族から絶縁されたとしてもピンカートンを信じ。子供を生み、さった夫の帰りを3年間待ち続けたのだ。うーー、この時点で悲しいお話ですね。
劇中ではこの蝶々さんとピンカートンとの間に生まれた子供が人形として登場して(これがまた文楽的なの)、観客を泣かせる演技をするのだ。人間の子役では実現できない、細かな感情の機微や動きの繊細さを余すことなく表現してこの悲劇のそのまた悲劇性を強調してくれる。子供の名前もピンカートンが不在の間は「悲しみ」と呼ばれ、無垢であるが故の存在する罪、あー思い出しただけで泣けてきそう。
で、ピンカートンは最終的には日本に本当の妻と一緒に帰ってきて、現地妻の現状を見ることで、自分が生み出した罪を後悔する訳だが、それでもその事実を受け止めることができず現場を逃げてしまう。こらっ、テメイ逃げるんじゃねーと突っ込み所満載であるが、この男、無責任で無軌道でごく普通の軽い人間だったのである。でも共感はできないなーー。
蝶々さんはというと、ピンカートンとの本妻とあうことで全てを悟り、子供を本妻に託して、自らは命を絶ってしまう。
物語的には全くもってのバッドエンド。救いは何もなし。でも、何とも充足感あり。不思議な感覚。フランダースの犬を見た時にも感じるような悲劇でもお腹一杯になるって奴。でも、2回も見たくはないかも。カーテンコールでは子役の人形が一番人気であった。

当然、このオペラは人気作なので日本でも上演されている(新国立劇場でも今年上演されたはず)のだろうけど、日本人が演出したらどうなるのだろうか。もっとも作品自体は西欧人(プッチーニね)が想像上と一部取材で作り上げた虚像の日本でしかないから、オーセンティックな日本を作ったところで意味はないのだろうけど、一度日本人が作った作品を海外で上演したらどうなるだろうかと考えてみる。といって演出の意味が通じるのは日本人だけかもしれないから、やっぱり無駄かな。

休憩2回も含めて、3時間半の長丁場であった。終了後、さてどうしようかな、もう一本映画でも観ようかと考え、何か評判の高い「ヤッターマン」でもと思ったが、なんと売り切れていた。これはさっさと帰れというご宣託であろう。遅い昼飯を食べて帰宅した。

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